自己探求の瞑想をどのように行うか
山 田 孝 男


 1999年4月、自己探求による真我への道を伝えた南インドの聖者ラマナ・マハリシの入滅49年を機に「瞑想三昧ーラマナ・マハリシの教えについて考える」は開かれました。以後、毎年ピラミッドセンターには変わらぬ真実を求める人々が集っています。今年2005年、7回目を迎える「瞑想三昧」の開催にあたり、1999年の山田孝男氏による講演記録(APG会誌『SUN』23&24合併号より抜粋)を掲載します。(APG事務局)


ラマナ・マハリシとの出会い

 私は1968年に精神世界の探求のためにインドに行きましたが、その旅の途中でのことでした。

 ニューデリーから1日以上かけて2等寝台車で旅をすることになり、車中何か読む本はないかなと思ってニューデリーの本屋に寄ったんですね。その時見つけたのが『ラマナ・マハリシの教え』という本でした。その本を買って、列車の中で読み始めたんです。

 『ラマナ・マハリシの教え』の中に、本当の自己、いわゆる「真我」は胸の所で見つかるということが書かれています。肉体の胸の中にあるというわけではないけれども、一応瞑想の手掛かりとして、「胸の中央から指2本分右側の所に心をもって来なさい。そして、そこで私というのを感じるから、それをずっと見つめていきなさい」ということが書かれています。

 それを寝台車の荷台で寝ころびながらやってみたのです。最初はいろんな思いが出てきました。自分はインドまで来て、こんなにいろんな目に遭っているのに、まだ目的も達していない。日本に帰っても仕事はすぐにはないだろうし、これからどう生きていったらいいんだろう…とか、いろんな雑念が湧いてくるわけです。そして、自分の気持ちをずっと胸に集中しながら見ていったんですね。

 すると、そういう雑念をただ見ている自分がいるのに気がつきました。いろいろ悩んでいる自分と、それを見ている自分は違うんだということがわかるわけです。その瞬間、今までの悩みが自分から離れていくんですね。

 一瞬の間、悩んでいない自分の方に立ち返るわけですが、次にまたいろんな雑念が湧いてきます。気持ちの中から様々な忘れていた思いが次々と出てきます。それもまた、ただ見ているとそのうち消えていって、それを見ている、感じている自分がいるんだなと気がつきます。

 それを何度も繰り返していくうちに、すっかり忘れていた子供時代の思い出が蘇ってきました。小学校に上がる前の記憶です。それは非常に自由で、喜びそのものの自分、いわゆるマジカルチャイルドといわれている頃の記憶です。

 子供時代に持っていた、周りの自然や世界を喜びを持って感じている意識が、いつも胸の奥にあったんだ、ということがはっきり分かったのです。ハートの奥に本当の自分がずっとあったんだ、ということに気がついたのです。

 その体験によって、それまでのインド人に対する不信感、たとえば約束は守らないし、町を歩けば乞食が何百メートルでもついて来て物乞いするし、仏教の聖地に行っても物売りがやって来てふっかけるし、インドという国に対して幻滅という気持ちもあったのですが、そういうものが全部消えてしまったのです。

 人間の本質に目覚めた時、国境や人種を越えて本質的なところから人間を見ますから、インド人と日本人の垣根がなくなります。そうすると、列車の中もみんな友達になるわけです。そういう意識になると泥棒も寄ってこなくなります。その後、まったく安全な旅を続けることができました。

 これはインドに行ってから10ケ月位経ってからの体験だったのですが、この時、精神的にラマナ・マハリシと出会ったのです。

 ラマナ・マハリシの教えは、「自分自身を知りなさい」ということに尽きます。簡単に言うと、この宇宙は広大ですが、それを体験しているのは誰ですか、あなたがいなければ果たして宇宙はありますか、という教えなんです。自分なくしては、この広大な宇宙も神秘な様々なスピリチュアルな世界も存在し得ない。また無意味なわけです。だから自分を探求しなさいということなんですね。


私たちの本質はみんな悟っている
       
 ラマナ・マハリシは、誰でも生まれながらに悟っていると言っています。ヨーガ行者のように、修行を積んで肉体を超越し、無分別三昧に入って得られる三昧だけが悟りというわけではなくて、みんな最初から悟っているのだから、それに気づきさえすればいいんだよ、ということを強調しています。だから「悟り」とは、肉体を自分だと思う錯覚、あるいは様々な心の働きを自分だと思いこんでいる自我意識の錯覚から離れるだけでいいんです。

 自分をずっと見つめていくと、最後の究極の所に「私」があります。そこに完全に集中した時、心の働きが停止し、すべての想念、自我意識が消えていきます。その時に自ずと出てくる意識が本来の私というわけです。

 その意識は、最初から存在していて、誰からも教えられたものではなく、最初から気づいている意識です。そして、あらゆるものから自由になっている意識です。その意識は、太陽の光によって光り輝く月のようなものではなく、自ら光り輝くものです。

 これからは、一度でも二度でも、ちらっとでも、そういう体験をする機会が多くなるでしょう。それを忘れないようにして大切にしてください。そうすれば、やがては「真我」という意識が本来の自分なんだということが、揺らがないで定着していきます。

 そういう意識でこの地球を眺められる人が、四六時中でなくてもいいですけど、その意識が真実だということを疑わなくなった人が、世界中に何十万人かいたら世界は一挙に変ります。そして、そういう可能性を持った人たちが、もうすでに地球に生まれてきていると言われています。その人たちが全部目覚めると、一挙に他の人たちも目覚めるような大神芝居が地球上で行われているわけです。それが、アセンションといわれるドラマなのです。


気づきを妨げる思いこみ
 
        
 ラマナ・マハリシとの対話を読んでいると基本的な思い込みとは何なのか、そのヒントがいくつか出てきます。ある人が、「私は雑念が多くて、なかなか自分の真我に気づくことができません」とマハリシに尋ねました。その質問に対してマハリシは、「自分はなかなか出来ないと思っている、その考えが障害になっているのだ」と答えています。

 ほとんどの人の心の中に、そういう思い込みがプログラムされています。自分はだめな人間だ、弱い人間なんだ、誰か偉い神様のような人が出てきて救ってくれないと幸福になれない、そういう思いこみがあるのです。

 そしてもう一方では、全く逆の優越感を持つような、自分を特別な人間だと思わせるような考えもセットになってプログラムされています。それも大きな誤りを作る素になっています。悟りの意識においては、優劣はありません。みんな平等です。それなのに、そのことを問題にするのはおかしいと思いませんか。

 また、みなさんの中に、これは不可能だという思いがどれくらいあるか探ってみてください。お金がないからこれこれのことができないと思い込んでいる人は、お金が入ってこない間は何もできないということになります。しかし、その考えを捨ててしまえば、お金がなくても、何々がしたいというヴィジョンを強力に押し進める過程で、必要なお金も自然に入るようなシステムになっています。考え方ひとつです。もっといろんなことができます。

 みなさんの中に、自分の世界を制限している思い込みや考えがありますから、それが何なのかを探っていって、その催眠術を解いてください。究極はラマナ・マハリシが教えているように、「私」という意識に辿り着きますが、その前にそういう考えがあることに気がついたら、「これは自分には必要ないから捨てます」ということをはっきりと意識してください。考え方を変えれば、もっと素晴らしい人生になりますから。■